チョコレート物語

                                            PETITS-POIS からの転載です

 チョコレートは、味覚や習慣の違いを越えて世界中で愛されています。
特にベルギーのチョコレートは国際的にも知られ、世界で最も好まれている豪華な物の一
つですが、私達でもたやすく買うことができます。
 (ベルギーでは)'90年だけで、124,566トンのチョコレートとチョコレート製品を生産
しました。 発表によりますと、 '90年のベルギーにおける1人あたりの平均消費量は、
チョコレートで 74kg、ビスケットやペーストで、15,33kg、またケーキ類は、3,8kgです。
 ベルギーでは、チョコレートはソーシャル・ライフで重要な役割を担っています。 ベ
ルギー人の家に招かれた時はチョコレートや、花が "de rigeur" ギフトですが、そのベル
ギー人のチョコレートラバーぶりも、マヤ人やアステカ人に比べるとかすんでしまいます。
 マヤ人は、ココア信仰を発展させ(ココアを崇拝し)最初に耕作した人々なのです。
歴史的にマヤ人の継承者であるアステカ人は、ココア豆を神に捧げるだけでなく売買の手
段としても使っていました。 たとえば、5粒のココア豆は健康な奴隷一人を買う価格に
等しい(!)というように。 ココアの味を初めて知ったヨーロッパ人は、クリストファ
ー・コロンブスでした。 彼は出会った原住民からたくさんの貢物をもらい、その中には
ココア豆や、豆から作った飲み物も含まれていました。 しかしながら、これらの貢ぎ物
で原住民に対する征服戦争を止めることはできませんでした。

 スペイン人たちが16世紀にメキシコに来てから、コルテスに率いられたスペインの軍 隊はモンテズマ王により、”飲むチョコレート”を紹介され、コルテスと彼の軍隊はココ アのマジカル・パワーを知るようになりました。 1519年の彼の日誌には『ココアを 飲むと一日中旅しても疲れること無く、他の滋養物は必要ない』と記されています。  パワフルなエネルギーの源として、また、おいしい飲み物としてもチョコレートは新世 界の珍重品として認識され、チョコレートはあっという間に世界の人々の味覚を刺激しま した。 (特にヨーロッパの上流階級の舌を)  ヨーロッパ人は、すぐに砂糖の他にココアを精製する方法をみつけ、さらにコショウを 含むいろいろなスパイスも精製し、ビタースウィートな飲み物を甘い飲み物へ変えていっ たのです。 ムッシュー・ドレ(Doret)という人が、チョコレート・ペーストを、 挽いたり、混ぜたり、ブレンドしたりする機械を発明し、ココアが液体以外の形で消費さ れるようになったのは、1775年のことです。  19世紀初め、ヨーロッパはチョコレートであふれ、ココアをプロセスする新しい方法 を開発しようとしていました。  まず、1828年オランダのバン・ホーテン(Van Houten)社がココア豆からココア バターの抽出や、ココアを粉にすることを見いだし、これにより、1875年ネッスルの スイス人マスターたちがココアバター、ココアの粉、砂糖とミルクを混ぜ、世界で初めて のミルク・チョコレートを生み出すことになったのです。  もう一人の忘れてはならないスイスのチョコレート・マエストロは、リンツ(Randotph Lindt)で、彼は大切な Conchage stage(混ぜ合わせるプロセスを長くし、チョコレー トに独特のアロマと味、また Luxurious な雰囲気を加える)を紹介し、私たちが現在知 っているようにチョコレートを欠くことのできない食べ物にしたのです。

 ベルギーのチョコレート屋さんが有名になったのは、かなり後のことです。 ベルギー
の小さなグループのチョコレート開発者が影響を与え、半世紀後、その継承者達の製品は
世界の水準になったのです。
チョコレートの生産における最初の、そして最も意義のある革新は1912年 Jean NEUHAUS 
がプラリネ(praline)を発明したことです。 チョコホリックの方はご存じだと思いま
すが、プラリネは、フイリングの入った通常アーモンドベースでクリーミーなものが包ま
れたチョコレートで、主な6つのタイプのプラリネがあります。(マジパン、 リカー、 バターク
リーム、 フレッシュクリーム、 チョコレートクリーム、 プラリネハーゼルナッツ)Jean NEUHAUS の発明は成功し、ブリ
ユッセルの人々のハートをつかみ、その後、世界中の人を虜にしたのです。 bouchee・・
・一口チョコレートが流行りました。
 The NEUHAUSーPerrin 菓子店/薬局は1857年 Jean NEUHAUS とプラリネの発明者
の Jean NEUHAUS の父により創立されました。
グランパレスの近く、23, Galerie de la Reine です。 最初の店は、今現在も同じ場
所にあり、Jean NEUHAUS が使っていた同じ引き出しやカップボードが残ってます。
NEUHAUS は又、チョコレートのアートの中枢になるような他の発明もしました。 それは
Jean NEUHAUS の妻からのインスピレーションからできました。 20世紀初頭、チョコ
レートは三角にまるめた紙に入れて、売られていました。 彼女は、薄っぺらな紙に入れ
られたチョコレートが凹み、押し潰されるのを残念に思っていました。 そして、彼女に
批判されていた三角形の入れ物は Jean NEUHAUS と彼の息子により、改善されました。 
試行錯誤の末チョコレート入れの箱を作り、それはアッという間に世界中へ広まったので
す。
 その他、NEUHAUS は世間の人に自社のチョコレートのイメージを強くうえつけるため、
箱を鮮やかな緑と金に塗り、チョコレート一つ一つに会社のイニシアル”N”をつけまし
た。 このイニシャルをつける作業は今日まで受け継がれ、このマークは世界の人に高品
質な製品のマークとして印象づけています。
 ここまでは Neuhaus の洗練されたマーケテイング・テクニックの話でしたが、こんど
は革新的なセールスをしたゴデイバ(GODIVA)とレオニダス(LEONIDAS)の話です。
レオニダスは1920年代 Smyrna からやってきたトルコ人の移民 Basile Kestekides に
より創立されました。
 彼のベルギーチョコレート物語へ寄与するところは、レオニダスのプラリネがすばらし
いという事だけではなく、その販売方法にもあります。 Kestekides はコストを削減す
るためにブリユッセルの Boulevard Anspach の路上に出店しました。 この計画はとて
も効果的でビジネスは成功しました。 今日、レオニダスはベルギー最大のチョコレート
製造業者でブリユッセルに10店舗と世界中に1000店舗を持ってます。
 彼の考えは、レオニダスのチョコレートが今も路上で売られているという所に受け継が
れています。 道に面した開放的な店、客がデイスプレイから選べる本当のテイクアウエ
イスタイルです。 高い水準は維持され、価値のある品物を求めることができます。
 又、世界的に有名な GODIVA を創立した Joseph Draps は影響力のあるチョコレート
メーカーで稀に見る販売スタイルを持っていました。
Joseph Draps は14歳で彼の親戚で1929年以来ブリユッセルの店にチョコレートやキャ
ンデイーを売っている菓子店の Junior メンバーになりました。 その直後、両親に先立
たれて仕事を引継ぎます。 他の家族に助けられながら、彼は不景気な時も、第2次世界
大戦の間も何とか店を存続させ、大戦後に彼はチョコレート屋を復活させました。 新し
い物を作るだけではなく、チョコレートに名前をつけました。
 ゴデイバー連の新製品のシリーズがこのエキゾチックな響きを持った名前で呼ばれるよ
うになりました。 贅沢なデザインと豪華なフイリング(詰め物)が大衆の心を捕らえま
した。 木の葉、貝殻、そういった自然のすばらしい産物がチョコレートのデザインになり
ました。 又、格好良くて高級なパッケージや季節の贈答用の箱がゴデイバの豪華なイメ
ージを造り上げました。 1946年 Draps がブリユッセルにカスタムデザインの店で、ゴ
デイバのシリーズを売り出してから、僅か十年余後の1958年、パリに最初の海外支店を出
し、今では、世界的に注目され40ヵ国以上で販売され、1200店舗以上の小売り店を持って
います。
 さて、チョコレートの材料はどこから調達されるのでしょう。 殆どの chokolatiers
は材料を couvertures(カバーするものという意)から買ってます。 この couvertures
が、長い時間をかけてチョコレートをプロセスし、ベトベトしたチョコレートをどう扱う
かのノウハウなども指導するのです。
ベルギーで一番有名な couvertures は Charles Callebaut によって創立された 
Callebaut でしょう。 1918年生まれの Callebaut はチョコレートのプロセスの新しい
技術を生み出すだけではなく、省エネ、コスト削減も顧客に伝えたのです。 例えば、
暖かい、液体状のチョコレートのタンクが chocolatier に届けられます。 この方法だ
と、通常チョコレートを冷やし、ブロック状に固め、作る段階で温め直すという手間が
省け、この液体状のチョコレートを受け取った chocolatier はすぐに使用することがで
き、省エネだけではなく、時間削減にもつながるのです。
 ココア豆をチョコレートにする製法は、洗浄から始まり、仕分け、乾燥と続きます。 
そして、工場でさらに洗浄、仕分けをして、豆を炒ります(ローステイング)。 このロ
ーステイングの前に、豆は個々のフレーバーによりミックスされ、製品になった時に独特
の香りを生み出すのです。 仕分けの後、適切な温度でローストされた豆はローストされ
るうち、殻がはずれます。 次に重要なのは、皮をきれいにはがすという事です。 ロー
ストされた実は、グラインダーにかけられ、ペースト状になります。 このペーストはコ
コア・バターと呼ばれ55%の脂肪を含んでいます。 さらに押し潰されココア・バター
が抽出され、残りかすはフイルターにかけられココアの粉になります。 これをさらに細
かくしたものがドリンキングチョコレート等の製品となるのです。(抽出されたココア・
バターはチョコレートの材料の他に口紅の材料としても使われています)
 チョコレートはいろいろな種類のココア豆のミックスされたペースト状のものに砂糖・
ココア・バターが加えられて作られる物で、40%のココア豆のペースト、50%の砂糖、
10%のココア・バターといった配分です。 ミルク・チョコレートの場合は20%の
ココア豆のペースト、40%の砂糖、20%のココア・バター、そして20%のミルクの
粉が加えられるのです。 これらは、大きなミキサーにかけられます。 その後、何時間
も温められ、かき混ぜられ、温かい液体の形で、各 chocolatier 独自のレシピで注文さ
れたものが chocolatiers に届けられるのです。 ほとんどの chocolatier がレシピを
企業秘密としています。
 ベルギーの電話帳の chocolatiers の欄をご覧ください。 なんとたくさんのチョコレ
ート屋さんがあることでしょう。 一つ一つ、味わってみるというのはいかがでしょう。
 日本に戻ってきてから、聞いたことのないベルギーのチョコレートがデパートの地下で
売られていたり、ブリユッセルと同じ様にきれいな内装を施した NEUHAUS の売店を六本
木でみつけたり、manon という madon 駅の近くの小さなチョコレート屋さんのチョコレ
ートが丸の内のオフイスビルの1階においてあったというような小さな発見もしました。 
日本のメリーチョコレートがブリユッセル公園近くのメリーチョコレートではないのも残
念ですし、コルネーのモカチョコレートと、サブロン広場近くの WITTERMER のチョコレ
ートが味わえないことも残念。 日本ではベルギーチョコレートは手の届く値段ではない
のです。
                                     おわり

この稿は千葉幸子('93年7月帰国)によるものです
感想等は、info@nihongo.com までお願いします。
1995年10月1日

本稿は PETITS-POIS a.s.b.l.の了解を得て、PETIT-POIS No.19(04/94)、N0.21(06/94)、
No.23(09/94)、No.25(11/94)、より転載させていただきました。
なお、転載にあたり、編集および若干の変更をしております。

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