
三年ほど前のこと、日本語はもちろん、日本のことも知らなかった私が東京の、ある日 本の建築会社で十一ヶ月の研修をすることになりました。 日本へ行って、そこで仕事や 生活の経験をしようと思い立ったのは、何か人と違ったことをやりたかったのも一つの理 由だったかもしれません。 人と違うということはヨーロッパでの我々の生き方、自分が 存在するための哲学なのです。 私も、子供の時からそう教えられてきたし、そのように 努力してきました。 知らない国に来て、驚いたことが沢山ありましたが、中でも印象的だったのは、多くの 日本人が、自分たちの独自性を堅く信じて、誇りに思っていることでした。 しかし、始 めのうちは日本人を他の民族と区別して、日本人を結び付けているのは一体何なのか私に はよくわかりませんでした。 半年程たち、毎日会社の寮で日本人の同僚たちと寝食を共 にし、満員電車で通勤、昼は会社、夜は飲み屋にカラオケ、休日はパチンコという暮らし をしているうちに、いつしか私も、門前の小僧が習わぬ経を読むように、日本人の生き方 と日本語にだんだん慣れてきました。 ある日のこと、ふと山手線の車内のテレビ画面から目を離して窓のほうを見ると、そこ には信じられない物が映っています。 ダークスーツにネクタイ姿のサラリーマンの集団 の真ん中にお化けでも見たような顔が一つ。 私の顔です。 私は、自分が日本人でない ことに気づいてびっくりし、そして何だかがっかりした気持ちになりました。 と同時に、 人と違うように努力することが哲学だったはずなのにいつのまにか自分が人と違っている ということにがっかりしている私自身にも驚きました。 自分が日本人でないということを忘れてしまうようになると、日本人の独自性は考え方 や容姿というよりも、むしろものの感じ方であることが何となくわかってきました。 日 本人にとっては自分のウチというグループに属するのが重要なのです。 それがヨーロッ パの人にとって理解しにくい理由は、日本人には国、会社、家族などのいろいろなウチの レベルがあるのに対して、ヨーロッパの人にとっては自分一人がウチで他人はソトという 一つのレベルしかないということです。 そう考えると日本人が日本の特殊性を大事にし、 一生懸命自分の会社や国のために仕事をするのは、ヨーロッパの人が他人と違うように努 力し、個人的に自分の成功のため頑張るのと、対応しているように思えます。
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