ヨーロッパより一言


「規制緩和」は国を滅ぼす 

30-11-1995

日本では「規制緩和」が合い言葉です。 耳にたこができるほど聞かされます。
そして、「規制緩和」の下での自由競争が繁栄をもたらすという幻想があるよう
です。

規制は何故あるのでしょう。 「規制緩和」は本当に必要なのでしょうか?
自由競争が本当に繁栄をもたらすでしょうか?

多分、「規制緩和」が叫ばれるのは規制が厳しいからではないでしょうか?
人間が規則や法律などを作って規制するのは人間社会のためであり、日本では日
本の社会のためにわざわざ作られたのです。 その規制が厳しいのにはそれなり
の理由があるのではないでしょうか。 理由があるのに緩和を求めるというのは
おかしくないでしょうか。
  勿論、必要以上に規制がなされているなら問題ですが。

また、規制の緩和を求めるというのは、規制の撤廃を求めるのと似ているようで
違うようです。 緩和というからには、規制そのものは認めているようにみえま
す。 本当に緩和でよいのでしょうか? 言葉の綾というか、規制の撤廃を求め
ないところに誤魔化しがあるように思えます。 本当は場合により撤廃が必要な
のではありませんか? ですから、「規制緩和」とは言うものの、撤廃を含んで
いるのです。 
その上、「規制緩和」という言葉には、被統治者が統治者にお願いする感覚が見
え隠れしているように思えます。 卑屈な態度です。 このような卑屈な態度か
ら生産的な物は生まれるとは思えません。 要するに、なにがしかのお目こぼし
を願っているのです。
「規制緩和」を求める人々に不満があることは容易に想像できます。 しかし、
その不満は単なるお目こぼしを願っているのでしょうか? 問題はそんなところ
にはないはずです。 もしも、このまま、お目こぼしがなされ、人々の不満があ
る程度、解消されれば、それでよいのでしょうか? そんなことを続けていたら
本当に国は滅ぶでしょう。 私が「規制緩和」は国を滅ぼすと主張する論拠はこ
こにあります。 


そうです。 「規制緩和」ではありえません。 「新しいシステムの構築」が必
要になっているのです。 「規制緩和」などといい加減な言葉の綾で言いくるめ
ていてはだめなのです。はっきりと、まず、なにをしたいのか、目的を明確にす
べきです。 それぞれの目的に応じた名前を付けるべきです。 例えば、「夜間
休日にガソリン給油を可能にするシステム」と言った具合です。 もしも、総合
的な表現が必要ならば「平成新社会システムの構築」とか、「規制緩和」とは別
の表現をとり、そのために必要な対策(立法)をとるべきです。 


単に自由競争が繁栄をもたらすというのも幻想です。
ソ連邦の崩壊を見た日本人はやはり、共産主義はだめで、自由世界が正しいのだ
と思いこんでしまったのです。 ソ連邦が崩壊しようがしまいが、共産主義は共
産主義で良い面もあれば、悪い面もあります。 むしろ、共産主義をやめたソ連
邦の現状は昔よりも悪くなっているのではないでしょうか? 自由世界すなわち
資本主義も同じです。 良い面もあれば悪い面もあるのです。 これらのもとと
なる民主主義自体が効率の悪いシステムなのです。 その根幹にある多数決の原
理において、多数が常に正しいとは言えないことは自明の理です。 ですから、
私たちが民主主義を選択したとしても、それは他によりよいシステムが見いだせ
ないでいる結果のやむを得ない選択なのです。 例えば、社会的な弱者は単なる
(近代)資本主義ではなかなか救えません。 なぜなら、今までの(近代)資本
主義を支えてきた自由競争は元々弱肉強食の世界なのですから。 企業は自己の
利益追求にのみ走る傾向にあります。 そのような企業の活動に社会として規制
をおこなったとしても、それは当然でもあるのです。 自由競争のみが社会の繁
栄をもたらすと考えているなら、それは間違いです。 競争原理の導入による活
性化が社会にとって必要なだけなのです。

例えば、私の住むベルギーでは夜中でも休日でも何時でもガソリンスタンドへゆ
き給油することが出来ます。 勿論、殆ど全てのガソリンスタンドが利用でき、
セルフサービスです。 そして、料金は銀行カードで支払います。 こんな簡単
なことを日本で何故出来ないのでしょう。 それは「規制緩和」などと言ってい
るからです。 「夜間休日に給油を可能にするための新システム」を開発すれば
よいのです。 そのために不都合な法律や規則などはこのシステムを実現できる
ように修正すればよいのです。 決して「規制緩和」ではありません。 規制を
この新しいシステムに整合させればよいのです。 


そして、このシステムを実現するには、お上にお目こぼしを願ったり、国に責任
を押しつけても問題は解決されないのです。 民間がやらねばならないことも多
いのです。ちなみに、日本の銀行はこちらの銀行に比べれば巨額な費用を掛けて
コンピュータ化しているのに、顧客のために共同でネットワークを作ったりする
、協力作業に熱心とは言えません。 銀行は皆、コンピュータ化して自己満足し
ているだけなのではありませんか? ですから、銀行の合併の一番の障害は機種
の違うコンピュータシステムの統合にあるとさえ言われるのです。 本当の意味
での顧客サービスが分かっていないのです。 自由競争の弊害が現れているので
す。 企業間には競争すべき分野と協調すべき分野があるのです。 何でも競争
すればよいのではありません。 
こちらのように、どの銀行のカードでも24時間365日使えるシステムを共同
で作ることこそ必要なのです。 ベルギーで出来ていることが日本で出来ないは
ずはありません。 しかし、これは決して単なる自由競争で成し遂げられるもの
ではありません。 加えて述べれば、この銀行カードで夜間でも、日曜でも買い
物の支払いが出来るのです。 銀行カードの使い勝手が良くなった結果、こちら
ではクレジット・カードに比べて相対的に銀行カードの利用価値が高く、不要な
借金はしない、堅実な生活になっているのです。 


要するに、実現すべき目的を明確にして、プロジェクトとして実現して行く方法
が採られるべきなのです。  


「規制緩和」を口にする諸兄に、もう一度申し上げたい。 「規制緩和」は国を
滅ぼすと。 「新しいシステムの構築」こそが必要なのだと。 


大岡由之 (おおおか・よしゆき)
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1995年11月30日

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