我輩は猫ではなく犬である。 我輩はベルギー日本犬人会の会員でもある。これはわが家の女主人が実家の義妹に書き 送ったFAX手紙の中から我輩が新しいご主人の家に到着してからの約一カ月半に関する 部分を抜粋し、とりまとめたものである。これはあえて言うならば我輩の幼年期の記録で あり、今や見違えるように成長しているので誤解の無いように願いたい。わが家の主人は 毎週日曜日に我輩を連れて薄切り肉屋のそばの広場の市に出かけるので、皆様にもお会い することがあるかも知れない。そんな時には我輩の成長ぶりに感嘆しているだけでなく、 是非「武蔵!」と声をかけて頂きたいものである。五月十日(1992年) 七日、八日、九日とフランスのリモ−ジュに行ってきました。帰りにパリに立ち寄り 「北海道犬」を買い受けてきました。 「ヒロ−武蔵たから」と命名。 (「ヒロ−」と入っているのは、フランスでの登録の名前が「H」で始まるように言われ たため「武蔵」の前にHEROS=ヒロ−=英雄の意が付いてしまいました。また、「た から」と入っているのは、パリの日本レストラン「たから」からもらい受けたためなので す。血統書には、その生産犬舎名が必要なのだそうです。ややこしい限りです。) と言う訳で列記とした血統書付きです。通称「武蔵」といいます。二月二十八日生れです。 犬小屋としっかりしたフェンスが出来るまでは家の中で一緒に生活することとなります。 さて「武蔵」ですが、今日は私が立っていても動いていても大抵私の足の所にいます。 踏み潰しそうでこちらの方がよろけてしまいます。主人がお風呂にも入れました。オシッ コは、ちゃんと新聞紙の上にするので、前のコニャック(以前に日本で飼っていた犬の名 前)よりずいぶん素直で助かるのですが、私の方はその都度手を石鹸で洗うので手がかさ かさになりそうです。夜は、武蔵だけ階下に寝かせているので、朝になると寂しそうな鳴 き声でおちおち朝のシャンプ−もしていられません。全く「武蔵」「武蔵」です。しつけ も日本語とフランス語と両方でまさに国際犬です。五月十一日 昨日寝たのが真夜中の十二時ぐらい。ところがそれから二、三時間は、武蔵が下でまる で猫みたいな声で悲しそうに泣き続けるので寝られたものではありません。いくら泣いて もしらんぷり。ベットにしがみついているのも疲れます。静かになったと思いきや、あっ と思う間にもう朝。六時前にはまた泣き出して、こちらも遂に起きざるを得ませんでした。 朝のシャンプ−、お風呂もそこそこに(オシッコもウンチも済んでいるので)靜かにさ せるため何も与えず、先ずは、二階の寝室に連れてきて、私はヘヤ−のセットです。武蔵 は、ひとまず部屋中を飛び跳ね歩き回り、やっと私の足元に落ち着きます。ところが、私 のヘヤ−セットの終わりにヘヤ−スプレ−をかけるやいなや、武蔵は、ぱ−っとすばやく 飛び退きます。鼻のいい犬にとってはヘヤ−スプレ−のにおいはとてつもなく強烈なかお りなのでしょう。その格好たるやとてもおかしく吹き出してしまいました。 お昼間は、来訪者にかなり吠え立てました。小さいのに涙ぐましいくらいです。私の前 に陣取って吠えるのです。この種の犬は、小さいうちに皆に撫でてもらい人慣れをしない と全く家族以外を受付なくなるそうなので、来る人、来る人皆に撫でて貰いました。 午後になってこちらの獣医さんに連れて行ったのですが、どこも異常なしとのこと。お 医者さまいわく。オレンジやバナナ、おりんご,牛乳一カップは毎日、それに一週間に一 度はたまごの黄身だけを、それにまた毎日ビタミンADとカルシュウムを上げなさいとの こと。それに牛の骨。勿論、なかなか高価なドッグフ−ドは、今のところ日に三度。お医 者様からおみやげにペディグリ−ドッグフ−ド三缶を貰いました。 そして夜は、私達の散歩に加わり約三十分位、初めてベルギ−の地を歩きました。仲な か達者なものです。 今はと言えば、疲れたのか音をたててもビクともせず絨毯の上にころがってぐっすり寝 ています。でもこれでまた、いざ寝る段になると夜中じゅう声がかすれるまで泣き続ける ことでしょう。それに私はまたきっと明日も六時には起こされることでしょう。 追伸:「武蔵」は二階に上がる階段は、朝飯前に登ってきます。五月十二日 今日は、朝先ず五時起き。これは間違い電話のベルでした。勿論、武蔵はヒ−ヒ−泣い ています。そこでひとまず武蔵に私の顔を見せ、オシッコとウンチを片付け、骨ガムを与 え、また私だけ二階へ。というのも、お水を夜置いておくのを忘れたために朝先ず台所で 水を飲ませたため、またもやのオシッコを恐れたのです。私は、今日は武蔵のヒ−ヒ−に もめげず、ゆうゆう朝のお風呂に入り、シャンプ−もセットも済ませてから今度は本格的 に下に降りました。朝食を済ませてもまだ八時前です。時間が沢山ある感じがします。 ところが九時からが大変。いろいろな用事で人がつぎつぎ来てしまいました。 武蔵は昨日ほどは吠え立てなくなりました。すこし、人に慣れてきたのかな? でも、武蔵は私の後に付いて忙しいこと。忙しいこと。何度も踏んでしまいました。そし て階段も今日はダッダダダ−ット(なにせ足が四つあるので)登ったり降りたり。あっと いう間の進歩です。 武蔵は、どこにでも私の後をついてきます。おトイレにもついてきます。たとえ犬にで もまじまじ見られると「恐縮のきわみ」なものですね。私のおトイレの帰り武蔵は、階段 を降りるやいなや絨毯にオシッコをしてしまいました。「親の背を見て育つ」なのでしょ うか?(場所が違うのに!) 庭に出すと、喜んで兎と犬を混ぜた様な目まぐるしい動き、飛び跳ね。もう狂気です。 ところが部屋に戻ると水を飲みオシッコをし、もう動きません。疲れたのか私の後も追わ ず、大の字になって鼾をかいています。これで忠犬になるのかしらと思ってしまいます。 とにもかくにも、わが家で一番幸せなのは、間違いなくこの武蔵でしょう。私は寝不足 でくたびれ。主人は、先日のリモ−ジュの長時間運転の疲れがでて足が釣ってしまったと か。今日は人間さまの方は惨憺たるものです。五月十六日 犬FAXしばらく途絶えてしまいました。と言うのは、私ついにダウン。水曜日のこと でした。(中略) 武蔵のそそうや、いたずらの被害を防ごうとして私は、頭の後ろにも目をつけて緊張し っきていたのでしょう。すっかり疲れてしまったのでした。でももう大丈夫です。立派過 ぎるほどの犬小屋もでき、丈夫な金網も、芝生もきれいに苅り込まれ、これで準備完了で す。今夜から武蔵は、外です。なるたけ泣かないようにお昼間存分に庭にも小屋にも一人 でいることにも慣れさせました。 お隣の奥様には、武蔵をだっこして垣根ごしに挨拶しておきました。 「武蔵は、まだ三カ月で、外で飼う犬なので今夜からここに寝かせます。すみません! 夜キャンキャンうるさく泣くとおもいますが−−−」と。お隣の奥様言わく「いえいえ犬 が泣くのは、当然です」と。ちなみにベルギ−では、犬は、大抵の家で飼われ、また大変 みんなに可愛がられています。もし道なんかで犬をいじめているのを見つかると警察にも 怒られてしまう由! 武蔵は、現在六キロですが、今日いつもわが家に来てビスケットを貰うのを楽しみにし ている三十キロはある白い大きな近所の犬がやって来ました。いつもの三十キロが我が家 の六キロと、ものすごい勢いで地響きを立てています。お化けのネズミの如く、目まぐる しくすさまじく、追いかけ駆けめぐりました。三十キロは、玄関の階段をすごい勢いで駆 けおりて、助走をつけて駆け上がり、金網の外で土けむりを上げ、隣の家の植木なんかも お構いなしに(隣の奥様恐いのに!)走り回るのです。金網の中からもそれに負けじと武 蔵も駆け回りキャンキャン吠えたてます。それに比べて三十キロの吠える声の大きいこと。五月十七日 昨夜の武蔵は、疲れきったのか泣きませんでした。朝八時に降りて行っても大丈夫でし た。お隣のご主人がお隣の庭を歩いていらっしゃるのに向かって勇敢!に吠えていただけ でした。これから考えることは、武蔵の食事の時間をいかにこちらの都合のいいように、 しかも日に一回にもっていくかです。今日は、午前中「日曜市」のお買物にもつれていき ました。今は、外にいます。家の中にはもう上げないつもりです。まだもうしばらくは、 台所までは上げてあげないと可愛そうな気がしますけど! 主人は今から武蔵をお風呂に いれるそうです。 それから、申し遅れましたが、武蔵は階段の上りは一段おきです。降りるのは普通です。五月二十六日 ところで、武蔵は、日に日に、ものわかりが良くなってきます。今朝なんかは、私が下 の台所に降りてきたのが八時二十分ぐらいなのですが、それまで武蔵は一言も泣かず、お まけに姿も見えません。一瞬逃げたのかとも思いましたが、なんとしばらくすると、のう のうと縦にギューッと背伸びをしながら犬小屋からのんびり出てきました。暢気なもので す。(ちゃんといたのです!!) でも、もしかしたら昨夜来の雷と、ものすごい雨でなかなか寝つけなっかたのかもしれま せん。 どうも、この家では私だけがあれこれ心配したり動き回ったりしているみたいです。六月二日 たいてい毎日夕食の後、武蔵を連れて散歩に出かけています。昨日は途中から引き綱を はずしてやりました。ビュンビュン、ピョンピョン自由が嬉しそうです。だいぶその自由 を満喫しているところに、向こうの方から犬連れがやってきました。私はとっさに武蔵を だっこしようと思ったのですが、主人がそのままほっておけというのでこわごわじ−っと 見ていると、相手は、ボクサ−にも似た大きな犬です。相手の口、鼻の辺が武蔵の顔程も あります。武蔵は、素早く腰を低く引き、いつでも飛びかかれる姿勢をとり、うお−ん! 武蔵は相手にじゃれつき鼻の辺を手で軽く引っかいています。そこまでしか届きません。 なのに何回も。何回も。でも、相手の犬は、微動もしません。それどころかしばらくして ひょいと顔を背けて行ってしまいました。おまけにその犬の連れの男性も「ボンソワ!」 と挨拶をして行ってしまいました。まったく相手にされず仕舞いでした。 しばらく平和に歩いて、今度は、武蔵と同じ位の大きさの別な犬に出会いました。相手 は、その家からひょこひょこ出てきました。ちょっとスマ−トな上品な犬です。今度は、 大きさが同じなので対等だと思っているのか互角になにやらけたたましくダダダダ−! (追いかけ逃げる音)。その家の庭の中から道へと何度も行きつ戻りつ。初めは、慌てた 武蔵が、その家の坂になった芝生から道に転げ落ちるやら。早いこと。互いに追いかけあ う。神かぜです。夢中で道に飛び出てきたときにもし車が通ったら! と。私は、とても 心配です。早く武蔵を安全に確保しなければと。だから、私は道のまん中に立って「武蔵 ! 武蔵 !」と何度も呼びました。私が道の真中に立つことによりもし車がやってき ても私の身をもってその車を止めようと!。それなのに主人は、「道のまん中に立ったら 危ない。武蔵が道の真中に飛び出して来ることになるょ。もっと道の端に!」とどなって います。いやはや、見解の相違です。やっと無事武蔵は、戻りました。 今は、武蔵はなにやかやと手間をかけてくれます。台所のドアのところでウオ−ンウオ −ンと泣くのが止んだなと思って、そ−っとカ−テンの隙間からのぞくと、なんとま−! 武蔵は犬小屋の中の寝カゴにひいてある大きなバスタオル二枚を雨でグッショリ濡れた庭 の芝生に引きずり出し、口にくわえてブルンブルン顔を右、左に五,六回。また、ブルン ブルン。何度も繰り返しています。私が、飛び出すとバ−ット嬉しくて飛びついてきます。 前回も同じ事をして、ひどく怒られた事などすっかり忘れています。私は、また怒ります。 武蔵の逃げ方も巧妙に、そしてまた、私の怒りもエスカレ−トします。私の目の前を脱兎 のごとく。そして私の後ろの地面すれすれを。武蔵は、目まぐるしくかけずり走りまわり ます。速いこと。速いこと。新幹線より速いみたいです! その他にも本当にいろいろやってくれます。私の洋服もドロンコの足で毎回飛びつかれ て、ついに汚れが目だたないような柄物になってしまいました。でも、このような手間の かかることもあと数カ月で終わってしまうのでしょう。犬が大人になるのは、あっと言う 間でしょう。たくさん可愛がってあげたいと思います。六月二十五日 ところで先週、武蔵の眉下のあたりと耳の付け根のところに大きなおできみたいなもの ができ、日に日に大きくなっていきます。心配しながらもちょっと日程が会わずお医者に つれていけずにいました。私には、武蔵が元気がないようにも見え、また食欲もないよう にも見え、とてもかわいそうなので手で食べ物を少し摘みそれを武蔵の口に運んでやった り、優しく撫でて上げたりしていました。そしてやっとお医者につれていける日がきまし た。お医者さまにも無理をして時間をとってもらいました。お医者さまは言いました。 「ああ−これは、チックです」と。その説明によると、こうなのです。背の高い雑草等の てっぺんで待ちかまえている一種の虫がいてそれが犬の頭の辺にぴょんとくっつき犬の皮 膚の中へと蚊のように吸い口を入れ栄養を採り次第にバル−ンのごとく犬の皮膚の外にふ くらんでいくそうなのです。ご存じですか?それで、お医者さまは、そこにアルコ−ルを つけピンセットでいとも簡単にひょんととってそれで終わりでした。もう武蔵がすっかり 元気にみえてきました。目の錯覚でしょうか?不思議なものです。 さて、昨日夕食の後、いつものように武蔵連れで散歩にでかけました。三十分位で戻っ てきて、私だけ先に台所のドアより家の中に入り、武蔵と主人は、もうひとしきり表の庭 で戯れていました。私は、台所でジョギングシュ−ズをはきかえ、「オオ−やれやれ」と 一息居れていると、けたたましくどこかの家の防犯ベルが鳴りだしました。かなりけたた ましいので、私の野次馬根性がむらむらと。それで急いで、また表に飛び出しました。火 事なのかな? ドロボウ−かな??? 私の顔が生き生きしてくるみたいです。その時、 奇妙な親子連れ−−−、そうです! 主人と武蔵がすごい顔をしてすっとんで来ました。 何なのかしら? 主人、何やら大きな声で怒鳴っています。 「あ−あれれ! ウハハ!」 私、防犯ベルの解除を忘れて家の中に入りすっかりくつろいでしまったのでした。だから 自分の家のベルが鳴っていたのです。けたたましいはずです。私は、近頃とみに暢気にな ってきます。 今夕もまた散歩にでかけました。丁度、鎌倉の家から大塔の宮あたりまで行ったところ (約五百メートル)で向うからやって来る二人連れの学生に出会いました。男の子と女の 子です。武蔵は、一声吠えました。ところが、いつものことなのですが、見知らぬ人間が 恐いらしく、ずる−ずる−と後ずさり。その二人が前に進む程その倍位、後ろにさがりま す。今日の武蔵は、どんどん今来た方向に戻っていきます。角も曲がりついに私達の視界 から消えてしまいました。そして、その二人連れは、恐縮しているみたいに盛んに私達を 振り返っているのですが、なすすべはなし。主人は、「構わないから放っておけ!」と言 います。けど私は、少しづつ戻りました。だんだん早く戻り始めました。「武蔵、武蔵!」 と連呼しながら。遂に家の前まで戻ってきてしまいました。「武蔵!」いません。「むさ −し!!」やっと階段の上の玄関のあたりから武蔵が顔を覗かせました。私であることを 注意ぶかげに確認してから、やっと走って降りてきました。なんたることでしょう。弱虫! 北海道犬は何があっても主人を守る強い、強い犬である筈なのですが? 熊にも勇ましく 立ち向かうと聞いていたのですが。犬は飼い主に似るとはよく言いますが、一体どちらに 似たのでしょう? 勿論、私じゃありません。 おわり
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