初期のダイヤモンドの研磨が目指したものは、ダイヤモンドの美しさを引き出す反射と屈 折のうち、反射を良くすることにありました。 原石のすりガラス状の表面を削って、光 沢のある面にします。 そして時には、不要な角の部分をすり落とす程度のものです。 古いカット方法はすべてこうした目的のためのものでした。(ポイント・カット)
その後、テーブル・カットやローズ・カットなどが開発されてゆきます。
(詳細については「<ダイヤモンドの形>形の変遷」の項を参照願います。)
1700 年ヴェネチアのガラス職人であったヴィンセント・ベルッチなる男がダイヤモンド
の上下の部分に合計五十八個のカット面をつけた今日で言うブリリアント・カットの原型
を創作したと伝えられています。 その後、トルコウスキーなどの研究と努力によって物
理的にダイヤモンドを最も美しく見せるカットの詳細が決定され、今日の美しいブリリア
ント・カットが誕生しました。
ここではユダヤ人を中心としたダイヤモンドの取引とカットのセンターの変遷を場所別に
述べてみます。
ユダヤ人を中心にしたダイヤモンドの取引と
カットのセンターの変遷
古代にユダヤ人の住んでいたパレスチナは地理的に交易の要にあたっていました。
多くの宝石はインドからエジプトへ、あるいはギリシャへローマへとパレスチナ(イスラ
エル)の地を通って運ばれていたのです。 このようなアジア、アフリカ、ヨーロッパの
三大陸の架け橋にあたる交易ルートの真ん中にいたユダヤ人は商人としての才能にも秀で
ていました。 ユダヤ人がキリスト教徒の度重なる迫害の中で最後に便りになるのは宝石、
中でもダイヤモンドであることを学んでいったのです。
ダイヤモンドは13世紀頃、インドの鉱山から地中海を経由してベニスに運ばれ、それか
らヨーロッパ各地に送られました。 ダイヤモンド取引はベニスから始まったといっても
よいでしょう。
そして、1460年代に中継地点がリスボンに移るまでダイヤモンド取引を独占していました。
13世紀から14世紀末までベニスからの原石はブルージュに運ばれブルージュはダイヤ
モンド取引加工の一大中心地として繁栄することになります。 14世紀初頭にはアント
ワープが台頭してきます。
ブルージュと北海を結ぶ運河が浅くなり、役に立たなくなるとともにダイヤモンド産業も
衰退します。
15世紀になるとポルトガルがインドへの直接航路を発見し(1498年)、原石取引の
中心はベニスからリスボンへと移行します。 リスボンからアントワープ、ロンドン、ア
ムステルダム、ベニスに運ばれてゆきました。 ポルトガルに於ける異端審理の宗教裁判
とユダヤ社会の排除は結果としてセンターの衰退を招きます。 ですから、この頃には既
にダイヤモンドの取引はユダヤ人の手に握られていたいってよいでしょう。
16世紀の末に異端審理の宗教裁判によってスペインやポルトガルを追われたユダヤ人の
多くは、当時、信教の自由とギルドの制約がなく市民的な自由を認めていた唯一の国オラ
ンダに安住の地を見いだし、アムステルダムはその後長くダイヤモンド産業の中心になり
ます。 17世紀に入って、オランダはインドからの原石直接買い付けにのりだし、17
世紀末には、アムステルダムは原石取引と研磨の中心地となりました。
18世紀に入るとアムステルダムが研磨センターとして繁栄のピークを迎え、第一次世界
大戦とナチスによる産業破壊により第二次の世界大戦の終戦と共にアムステルダムのダイ
ヤモンド産業はほぼ幕を閉じます。
17世紀を通じてユダヤ人の中のセファルディー系のダイヤモンド商人は、インドとの密
接な関係と、ブラジルにおける原石ダイヤモンドの発見を利用して、当時ブラジルとの航
路の支配権を握っていた英国のロンドンを原石ダイヤモンドの供給センターへと築いてゆ
きます。 18世紀に入って原石取引と研磨業は分離され、その後ロンドンは今日まで原
石供給の中心地となっています。
アントワープは14世紀末以降ダイヤモンド・センターとして機能してきました。
第二次世界大戦はこのセンターに大きな影響を与えます。 第二次世界大戦中にオランダ
やベルギーからのユダヤ人難民はダイヤモンド研磨に関するノウハウを携えて米国、キュ
ーバ、イギリス、そして当時のパレスチナ(現在のイスラエル)へと移住していきます。
ユダヤ人大量虐殺の直後にユダヤ人のダイヤモンド技術者はアントワープに戻り、国際ダ
イヤモンド社会の中心的な力としてアントワープを見事に立ち直らさせました。
(詳細は後述のアントワープの地位およびHRDを参照願います。)
第二次世界大戦後移住してきたユダヤ人の手で、1937年最初の研磨工場がペタハ・
ティクバに建設され、その後も続々と研磨工場が作られ、テルアビブの近くにあるラマト
ガンにダイヤモンド・エクスチェンジができ 28階建ての世界一の規模のこのセンターを
中心に運営されています。
イスラエルは世界最大の研磨センターとなっています。
(詳細は後述のユダヤ人国家イスラエルとデビアス社を参照願います。)
ボンベイとスラトには多くのサイト・ホルダーが集まっており、安い労働力を武器に重要
な研磨センターとなっています。
実際の研磨は主としてプエルトリコで行われています。
ダイヤモンドの研磨は安い労働力を求めて移動する側面があります。 一時は盛んになり
かけたタイの研磨産業は人件費の高騰で足踏みしています。 他方、旧ソ連の崩壊後は
CISおよびその周辺国での研磨産業への進出がみられます。 将来的には中国の労働力
にも注目が集まっています。
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