<ダイヤモンドの歴史>

ギリシャ時代ローマ時代ルネッサンスまでカットセンターの変遷

ギリシャ時代およびそれ以前(聖書での記述)


ダイヤモンドは旧約聖書に載っていると主張する人もいます。
聖書の「エレミア書」には(第17章1)「ユダの罪は、( Adamant ) のとがりをもってしるされ、彼らの心の碑と、祭壇の角に彫りつけられている。」と書かれています。
「エゼキエル書」には(第3章9)「わたしはあなたの額を岩より堅い ( Adamant ) の ようにした。 ゆえに彼らを恐れてはならない。」と書かれていると言うのです。
(しかし、ここで言うギリシヤ語の Adamant がダイヤモンドを指すという説に対しては、一般的には Adamant は鉄鋼もしくはコランダム Corundum (Al2O3)を指すという説が有力で、今日の学説では、旧約聖書やギリシヤの古典にはダイヤモンドが登場しないということで一致しているともいわれています。)

ローマ時代(プリニウスの博物誌)


はっきりとダイヤモンドが文献に現れるのはローマ時代になってからです。 プリニウスの博物誌(第37巻16章)では鉄鋼を含めて硬いもの全体を表現した「アダマス」という物質の一種として取り上げられ、その中で特にインド産のものとして、「透明で平滑な面が六つの角で出会っている。 それは二つの反対の方向へその先端に向かって先細りになっており、その一番広い部分でくっつき合っている」(今日で言う正八面体の結晶)と明記されているのが文献に残る最古のダイヤモンドです。
この説明の中にダイヤモンドの名前のもとになったアダマス( Adamas )は「征服し得ない力」を意味するギリシャ語に由来することが述べられています。 この Adamas が変形して Diamas から、後期ラテン語では Diamant になりました。 仏語では Diamant 蘭語でも Diamant です。
日本語のギヤマンはこの蘭語の Diamant からきたもので、本来はダイヤモンドの意味で すが、ガラスの切り削りにダイヤモンドを使用したことから、今で言うカット・ガラスをギヤマン細工と呼び、さらにガラス自体をギヤマンというようになりました。
ところで日本語の金剛石ですが、これも仏典のなかの「金剛不壊」からとったとされ、ダイヤモンドの硬さを象徴しています。

ローマ時代からルネサンスまで


ダイヤモンドのカットや研磨の方法を知らなかったローマ時代の人々にとって、ダイヤモ ンドは宝石ではなく正八面体の結晶(これは天然の鉱物としては、非常に珍しい)の持つ 神秘性、そして何物よりも硬いという性質、それにはるか遠くの原産地であるインドから 風に乗って伝えられた伝説などが色々に混じりあった、神秘的かつ呪術的な力なのでした。  ローマ時代の人々はこうした伝説的なあるいは呪術的な力を信じましたが、キリスト教の 時代になると、ダイヤモンドの持つとされる力は単なる迷信として排除されました。  以降、カットの方法が確立して、その美しさが理解されるようになるまで十数世紀にわた り、ダイヤモンドは宝石の中でも低い扱いしか受けてきませんでした。
例えば、ルネサンス後期の著名な金細工師であったベンヴェヌート・チェリーニは、ダイ ヤモンドをルビイやエメラルドより価値が低く、価格もルビイの八分の一以下と決めてい ます。

ダイヤモンドの研磨方法の発見

ダイヤモンド同士をこすり合わせたり、ダイヤモンドの粉末を付けた皮などでこすると、 さしもの硬いダイヤモンドも形をかえます。 この事実がいつ頃から知られたのかはっき りしませんが、十五世紀初めには既に欧州では知られていました。 言い伝えによれば、 伝説では 1475 年、ベルギーのルドウィグ・ヴァン・ベルケム (Ludwig van Berquem) が現代に通ずる研磨法を発明したとされています。

初期のダイヤモンドの研磨が目指したものは、ダイヤモンドの美しさを引き出す反射と屈 折のうち、反射を良くすることにありました。 原石のすりガラス状の表面を削って、光 沢のある面にします。 そして時には、不要な角の部分をすり落とす程度のものです。  古いカット方法はすべてこうした目的のためのものでした。(ポイント・カット)

その後、テーブル・カットやローズ・カットなどが開発されてゆきます。
(詳細については
「<ダイヤモンドの形>形の変遷」の項を参照願います。)

1700 年ヴェネチアのガラス職人であったヴィンセント・ベルッチなる男がダイヤモンド の上下の部分に合計五十八個のカット面をつけた今日で言うブリリアント・カットの原型 を創作したと伝えられています。 その後、トルコウスキーなどの研究と努力によって物 理的にダイヤモンドを最も美しく見せるカットの詳細が決定され、今日の美しいブリリア ント・カットが誕生しました。


ユダヤ人を中心にしたダイヤモンドの取引と
カットのセンターの変遷


古代にユダヤ人の住んでいたパレスチナは地理的に交易の要にあたっていました。
多くの宝石はインドからエジプトへ、あるいはギリシャへローマへとパレスチナ(イスラ エル)の地を通って運ばれていたのです。 このようなアジア、アフリカ、ヨーロッパの 三大陸の架け橋にあたる交易ルートの真ん中にいたユダヤ人は商人としての才能にも秀で ていました。 ユダヤ人がキリスト教徒の度重なる迫害の中で最後に便りになるのは宝石、 中でもダイヤモンドであることを学んでいったのです。

ここではユダヤ人を中心としたダイヤモンドの取引とカットのセンターの変遷を場所別に 述べてみます。


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