養殖真珠の地位の確立



御木本のパリ裁判 | 養殖真珠の焼却




 

御木本のパリ裁判



御木本は大正8年(1919年)に五ヶ所養殖場でとれた真円真珠をロンドン支店に送り、天然真珠より25%安い値段で販売しました。
ヨーロッパの宝石業界や学術界では、この養殖真珠は天然真珠と比較しても、形状、重さ、硬度、比重、色合いなどあらゆる面で天然真珠と変わらないものであったので、その驚きは大変なものだったようです。
新聞などが大々的に取り上げたこともあり、真珠販売業者などはこの新しい侵入者に敵意を抱き、反抗ののろしを上げることになるのは自然の成り行きであったかもしれません。
ヨーロッパの宝石業者にとっては今までに築いてきた流通や商売を根底から揺るがすものであるとして、排斥の運動となっていったのです。

ヨーロッパにはクレオパトラの時代から真珠にかけてきた思い、歴史や伝統があり、養殖真珠を簡単に受け入れるような状況ではなかったのです。
この問題が起きる少し前には、真珠に造詣の深いドイツのヘスリング博士 Dr. Theodore von Hessling (1816-1899) が半円形の真珠は養殖で作ることが出来るかもしれないが、真円真珠は人間が作り出すことは出来ないと著書で発表していました。  それが、一般の考え方でもありました。
まだ養殖などという考え方がなかった時代であり、真珠は天然の所産であり、人間が左右できないものであり、それゆえに貴重であるとされていたのです。

この排斥の運動はまずロンドンで起こり、次いで当時の宝飾業界の中心地パリへと移ってゆくのです。
この問題がどのような経緯を経て決着していったのか、 その様子を日本真珠輸出組合発行の「真珠の歩み」より抜粋しておきます。

ロンドン
大正10年5月4日のことである。午後3時版のロンドン発行のスター紙が、
「某商人が日本産の養殖真珠をば天然真珠として発売したが、それは驚くべき精巧な品物で切断してみなければ見分けがつかない。 この詐欺物同様の真珠の出現のため市場は大恐慌を来しつつある。 これこそ当地の宝玉界をかく乱するものである。」
といった記事を大々的に掲げ、そして新聞売子に大きな広告板を掛けさせて夕刻ラッシュ・アワーのロンドンの町々をば賑わせたものである。 スター紙がこれを詐欺事件とまで曲筆したので、その日のロンドン御木本真珠店には、6−7人の新聞記者が詰めかけてきて右に関して種々の質問をなした。 事は日一日と拡がってゆくばかりで翌5日から15日頃までロンドンだけでなく全英国の各新聞社は競ってこの記事を掲載し是々非々の所論を掲げてケンケンゴウゴウのさわぎであった。

ロンドン商業会議所では養殖真珠をにせ物扱いにし養殖真珠の出現によって天然真珠はその価値に何らの変化を起すものにあらずという決議をなし、とにかく貴金属商、装身具商、および宝玉商等を保護するの途を計った。
しかしこれはいたずらに事実を曲げて一時を糊塗しようとするものであったから、かえって識者の笑を買うに過ぎなかった。 その中にジェームソン博士は実験の結果、養殖または天然の如何に拘らず不完全ながらも、真珠の生産地の識別に役立て得る一つの方法−日光紫外線検査を公にした。 かかる情況のもとに事態は推移して行ったが、結局この両者、すなわち天然のものと養殖のものとの間には何ら本質的な相違がないということが判然となってこの論争は終りを告げたのである。 そして商人たちもまた次第に鳴りを静めてしまったかに見えたが、余炎は海を越えてパリーに移って行ったのである。

パリ
かかる間にあって、養殖真円真珠の価値を逆用し、かつ世上一部にそれを偽物とする宣伝のなお潜行しているのに乗じ、真珠としては全然偽物たるいわゆる模造真珠をば御木本パールといって販売する者が現れたので、御木本真珠店ではその一人を裁判所に告発し、その結果今後かかる詐欺行為をなす者は厳罰に処せらるべき旨の判決を得た。

元来フランスにはダイヤモンド、真珠その他の宝玉を取り扱う組合があり巨額の資金を擁して業界に君臨していたが、この組合の連中は御木本パールの出現に種々の迫害運動を試みるに至った。
その第一は養殖真珠を模造真珠として宣伝した。 当時フランスは第一次大戦の痛手がなお深刻で 奢侈品の輸入を厳禁していたため、真珠の如きものは再輸出することを条件にしなければ輸入できず、その輸入拒否の権能をこの組合が政府から委託されていた。 そして彼等は養殖真珠が輸入されても世人がこれを顧りみぬことを欲し偽物呼ばわりをしたため、御木本側は抗議を発しフランス税関も天然真珠と同様のものであるとの断定を下した。
そこで第二の方法は彼等は前記の輸入拒否権を濫用して養殖真珠の輸入を阻止せんとしたが、御木本より仏国国務省にその不当を訴え、その結果は輸入拒否権が彼等の手から税関にもどされることになった。 一方御木本真珠店のパリー代表者ポール氏はかの組合側の不当輸入阻止を民事裁判に訴え、再三審理の結果、天然真珠と全然同一の取扱いをうけるようになったのである。

他方学者の中からもボルドウ大学のプータン博士の如き学者が、きわめて公正な見解のもとに真円真珠が天然産のものと同一なることを確認し、その所説を学会論とし、また著書において広く世に紹介公表した。 すなわち、英国におけると同様仏国においてもまた学問上からは養殖真珠は天然真珠と同様の資格を与えられ、ここにおいて、養殖真珠の名声は普く世界の隅々にまで知れわたったのであった。



養殖真珠の焼却



真珠の養殖が盛んになると品質に問題のあるものもでてきます。
昭和のはじめ世の中が不景気になるなかで、奢侈品である真珠の取引も日を追って減少する段階に入ってゆきます。
特に薄巻珠が仲買人の手を経て海外に流出してゆくのを見て、御木本幸吉はこれが将来、日本の真珠の声価を落とし、貿易上の障害になることを憂慮したのです。
そこで、内外の反省を促すとともに御木本の真珠の品質をPRする意味で、粗悪真珠の焼却のイベントを一度ならず行っております。

粗悪真珠の焼却
真珠

昭和5年8月に神戸商工会議所の玄関前の広場で行われた「粗悪真珠の焼却」
中央の山高帽が御木本幸吉



  ここでは昭和八年七月十日の午後四時から神戸商業会議所前の広場で行い約三十六貫の真珠を焼却した新聞記事を紹介します。
翌十一日の大阪毎日新聞は「真珠の火葬」という記事を掲載しています。
焼きもやいたり三十六貫の真珠・・・・・・この値が何と時価にして四万八千円・・・・・・焼いた本人は真珠王で有名な御木本老人。 十日午後四時から神戸商業会議所前の砂利場に焼窯をすえて、薪と石炭の火の中へ惜し気もなく、どんどん投げ入れたのだから見物人もアッと驚いた。 だがこれは御心配あるな、過去四年間の養殖真珠のローズものばかりで、九月八日農林大臣許可の養殖真珠水産組合が出来ての真珠の品質統一のためとある。
それにしても大粒な真珠をスコップでざらざらとすくい上げて火の中へ投げ入れるあまりの光景に見物人の中から”もったいない”と飛び出した珍風景もあった。
当の真珠王は山高帽に紋服姿で、自分の子供を見殺しにするような愛情を顔に漂わせながら、
おそらく世界一の風景ですよ。 が、どうも最近悪い真珠を輸出する者が出て、本当のいい真珠がサッパリ声価を上げず、やむを得ず外国人も見ている前でこうやって焼くのです。 このために悪い真珠やまやかしものが出なくなれば三年も経てば年額千万円にも上って全世界の婦人のどの首にも、日本国産の真珠で飾ることが出来ましょう
となかなかの元気・・・・・・・・・・・・。
また、十二日の神戸新日報は「真珠の骨拾い」と題した次の記事を掲げ、相当の反響のあったことを報じています。
総額約五万円、七十二万個の真珠が一炬の煙と化した・・・・・・というのは、十日午後四時から五時頃までの神戸商工会議所前の出来事だったが、十一日の早朝からは、いつの間にやら会議所前はナッパ服、洋服、アツシ、さては着飾った女給さんといった連中が、地に這いつくばって約七、八十人の者が立ち去ろうともしない。 これは言わずと知れた、焼け残りの真珠を我物にしようとする連中だ。 何しろ中には三、四円する代物も少くないので、掌一杯に乳白色の真珠をならべてホクソ笑んでいる。 世智辛い世の中ながらボロイこともあるものだという格好だ。 云々・・・・・・。
以上のように御木本幸吉は養殖真珠の価値を高める努力を行ったのです。


 

 
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